スリーピング・ウイスキーキャット

まだまだぺーぺーの下戸が、主にウイスキー愛を語るメモ。 Sometimes I write something about Japanese whisky in my poor English.

オールドボトルと現行品-あるいは「なくしても気にならない範囲で最良の物」について

スコッチを中心に、古き良き時代のいわゆるオールドボトルを愛してやまない人たちがいる。(バーボンにもオールドボトルマニアがいるようですが、そっちはあまり詳しくないので割愛)

たしかに、大麦の品種改良で生まれウイスキーの味を向上させた”ゴールデン・プロミス種”を用い、各蒸留所でフロアモルティングをし、マッシュタンや蒸留その他諸々に職人たちの努力が惜しみなく捧げられた時代のオールドボトルは美味い。

しかし、個人的にはオールドボトルを収集しようという意欲がわかない(金銭面の理由もあるが。)。

現行品を買い支えることが今後のウイスキー業界のためだと思うというのが一点、さらには「モノ」に関する次のような価値観に共感するところがあるというのがもう一点の理由である。

バイバル登山家の服部文祥氏はその著書、『増補サバイバル』(ちくま文庫)の中でこう語っている。

「道具は「なくしても気にならない範囲で最良の物」を選び、あまり愛着をもたないほうがいい。」(160頁)

これは、登山で用いる渓流ナイフに関する記述の中に出てくるのだが、こだわりの渓流ナイフは嗜好品というかアクセサリーに近い側面を持っている。失くした時の動揺は計り知れない。

これをウイスキーに引き直すと、”飲み干したり、アクシデントでボトルが割れたりしても気にならない範囲で最良の物”が嗜好品・飲料としての身の丈に合ったウイスキーだといえるんじゃないか。

少なくとも私個人にはあてはまる。いつでも酒屋に置いていて、さして財布に痛みを感じない程度の中でうまいウイスキーくらいが一番くつろげる。

もっとも、ウイスキーは鉈やナイフのようなサバイバル登山の道具ではなく嗜好品であるから、好き好きに収集・消費してもらってかまわない。ただ、私はこう思う、というだけの話である。